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ドバイでの3年間 - 家族移住生活を振り返って

Takahiko Wada
Takahiko Wada
Cover Image for ドバイでの3年間 - 家族移住生活を振り返って

3年過ごしたドバイから帰国して、早くも4ヶ月が経とうとしている。
記憶が新しい間に振り返ろうと思ってたのに、あっという間に4ヶ月、、、

一旦書き終えたので投稿します。
ちなみにAIは使わず、心を込めて全文手打ちです!

なぜドバイ?

ドバイに移住したと言うと「なぜドバイ?」と、100%に近い確率で聞かれる。

いざ帰国してみると、確かにその気持ちはわかる。日本生活の中でドバイの話題なんてなかなか出てこない。(出てきてもネガティブなネタが多い)
数ある移住先の中から、中東の国、UAEのドバイというのは、なかなか変わったチョイスかもしれない。

そんな中ドバイを選んだ理由の1つ目は、ビザが取りやすかったこと。

前提としてずっと海外で過ごしてみたいという希望はあって、海外転勤とか就職とか色々考えてみたけどなかなか簡単ではなかった。

そんなときドバイの”バーチャルワーキングビザ"というものを知った。
日本での収入を得ていることを前提に取得できるドバイ居住ビザだ。

海外就職するに比べたらだいぶハードルは低い。あと会社にビザをサポートしてもらうより、自分で取得したほうが生活の自由度が高そうなので、できれば自分で取得したい気もしていたから。

あと、今回の移住は子供の教育的な目的もちょっとあった。ドバイには優良なインターナショナルスクールも多く、また多民族な国なので差別もなく、意外と教育環境も良さそうと思ったのもある。

ドバイを選んだ他の理由としては、

  • 治安が良い
  • 英語で生活できる
  • 過去に旅行に行って楽しかった
  • 常夏な気候がいい(実際は暑すぎたが)

あたり。

よかったこと

いろいろよかったことはあるが、いくつかピックアップ。

家族の思い出がたくさん増えた

周りは外国人ばかり、知っている日本人もいない、という中で始まったドバイ生活だったので、必然的に家族で過ごす時間が増えた。

日々の買い物から役所の手続きまで、なにかと家族全員行動。病院とかも英語の問題があり、ぞろぞろと家族全員で行くことがあった笑

旅行もかなり行った。

3年間で国内旅行にはたくさん行った。前に書いたが数えたらなんと30回も行っていた。ほぼ毎月。UAE内のホテルは意外と安い割に、世界屈指のリゾート地なのでかなりお得感があった。

さらに引っ越しはなんと7回もした。なにかと変化の多い生活。

世界で暮らしている感じ

ドバイは世界中から人が集まっているので人種も多様。子供の学校の生徒出身国は確か100カ国以上とか。

そういう環境の中、なんというか世界で暮らしている感じがあった。だから何だというわけではないけど、なんだか充実した感じがあった。

街中を歩けば世界各国の言葉が飛び交うし、各国の人の微妙な文化の違いを感じることもある。知り合いも色んな国の出身なので、世界のニュースとかも少し親近感を持って受け取ることができる。

またそういう環境なので、マイノリティ感を感じないのもいい。

学生の時にニューヨーク、仕事ではドイツで少し暮らしたことがあったけど、そのときはどこか外国にお邪魔しているよそ者感を感じていた気がする。そういうのがドバイではない。ほぼ全員よそ者なので。

温暖な気候(というか灼熱?)

気候もよかった。 基本的に晴れ、年間のほとんどを半袖短パンですごせる。

まぁ夏場は灼熱なんだけど、寒いより暑いほうがいい派なので。

年間を通してプールに入れる。時差もあり午後3、4時くらいには仕事を終え、そこから子供とプール、という生活はなかなか優雅で良かった。

雨は年間で10日も降らないので毎日晴れている。やっぱり晴れていると気分も上がる。
ちなみに珍しい雨が降ると大パニックで、雨漏りと闘ったのはいい思い出。

服装もだいたい半袖短パンで済むので、服を買う手間、出費も圧倒的に少なかった。

よくなかったこと

一方で海外暮らしは当然苦労も多い。

食生活

まぁこれはドバイと言うか海外だとどこでもそうな気はするけど、日本に帰ってきてみると改めて食生活はネックだったと感じる。

ドバイは日本食のレストランもたくさんあるんだけど、どうしてもレストランだと高くなるので、サクッと子連れでいくならフードコートになりがち。
子どもたちはマクドナルドが大好きなので、フードコートに行けばマクドナルドに吸い寄せられてしまう。まぁ、健康的ではない。

野菜や果物も輸入が多いのであまりフレッシュではない。日本のスーパーの野菜を見ると、フレッシュ過ぎて感動する。

生活コスト高め

もともと移住を計画してたときから、為替がだいぶ円安に傾いた。1ディルハムに30円で予定してたのが、40円くらいになっていたので、なにかと予定の3割増くらいになってた。

出費を占めるのは

  • 子供のインター学費: インターなので相場程度だが、まぁ高い。
  • 医療保険: 民間のものに自分で入る。子供がいるのでそこそこのグレードにはいると結構高い。
  • 家賃: 東京よりちょい高くらい。そして年々上がっていく。

一方で所得税がないという恩恵はある。ただこれらの出費を考えると、トータルでは生活コストは東京のほうが安いと思う。
特に子連れだと高く付く。独身とか夫婦だけとかなら、節税メリットのほうが大きいかもしれない。

日本の公立学校、保育園無償、子供の医療保険とか、、子育て支援のありがたさを改めて感じる。

日本にいるときは税金が〜とか思ってたけど、いざ無税の国に来てみると、実は税金ってちゃんと還元されてたんだな、とか思ったりもする。

思い出たち

よかった旅行

ドバイと言うと高層ビルなど近代都市の印象があるが、意外と自然も豊富で、個人的には自然系の観光が印象に残っている。

国内旅行に30回、海外に2回とたくさん旅行に行ったけど、なかでも思い出深いのをいくつか、、、

■ フジャイラのウミガメと泳ぐシュノーケリング

ドバイから車で1時間半ほど、フジャイラ首長国へシュノーケリングへ行った。
UAEは海が綺麗な箇所もあり、ここはシュノーケリングやダイビングで人気のスポットらしい。

中でも、高確率で野生のウミガメに会えるのが魅力。

妻と長男はウミガメに遭遇し一緒に泳いでいた。自分は次男が海を怖がったため子守で待機していた、、残念。

けど普通にたくさんの熱帯魚と泳ぐだけで十分楽しかった。

シュノーケリング

■ オマーンのムサンダムでイルカに遭遇

ドバイから車で3時間ほど。陸続きのオマーンへは車で国境を越えて入国できる。

ムサンダムは中東のノルウェーと呼ばれ、フィヨルド地形で有名。
フィヨルドの巨大な岩壁は、日本はもちろんドバイにはない風景で新鮮だった。

そこをダウ船という伝統的なボートでクルーズするのだが、イルカに遭遇できるのがウリ。

国境の検問を越えるという、ちょっとした冒険感もあって楽しい旅行だった。

イルカ

■ アブダビの奥地の星空

アブダビの奥地Liwaへモンスタートラックのイベントを観に行った帰りのこと。

その夜はホテルに泊まるのだが、街灯もない真っ暗な一本道をひたすら車で走ってホテルに向かった。

対向車はほぼないし、むしろ周辺の灯りもなにもない。本当に真っ暗だったので周辺が何だったのかも未だ知らない。たぶん無限に砂漠が広がっていた。

運転を代わるため車を停めて外に出たとき、ふと見上げると見たこともないような満点の星空が広がっていた。

早くホテルに着きたかったので、そそくさと出発したが、あの星空は凄かった記憶がある。

砂漠

■ ベストホテル - アトランティス・ザ・パーム

いろんなホテルに泊まったわけだが、一番を強いて決めるなら、アトランティス・ザ・パーム。
ドバイの象徴的な人工島パーム・ジュメイラの先端に位置するホテルだ。

実は十数年前に旅行で来たときにも泊まっている。
そのときは子連れ向けだねー、と話してたが、いざ子連れになって来たわけでちょっと感慨深い。

改めて泊まってみた感想は、、子連れ向けだった笑

世界屈指の巨大ウォーターパーク併設、またホテル館内には水族館もあり、ほんと子供は楽しめると思う。

ホテルといえば朝食ビュッフェが大好きなのだが、ここの朝食ビュッフェもベストだったと言える。
メニューの豊富さもさることながら、朝からミモザ等のアルコールが提供されていたのは驚いた。朝食ビュッフェでアルコールがあるのはUAEでは他に見たことがなかった。

ホテル

テレビに出た

ひょんなきっかけから「ドバイに移住した家族」ということで、テレビ朝日の朝の情報番組に出た。

zoomで1時間ほどインタビューを受け、あとは手持ちの家族動画を提供しただけなのだが、プロの編集により、まるで密着取材のような見え方になっていた笑

放送が記事化されYahooニュースでトップに掲載された。

それを目にしたのか日本の知人や親戚から多く連絡をもらえたのは嬉しかった。

いい思い出になった。

英語力

子供の英語力は想像以上に上がった。

最低限、英語に興味を持ってくれたらいいかな、くらいのノリだったが、それ以上に身についた感じがする。 日本に帰ってからは何とか維持できるように工夫しないと。

あとはやっぱり感覚的に、世界に色んな国、色んな人がいるというのを感じたと思うし、そういうのが将来の価値観にいい影響を与えたらいいなと思う。

自分も以前よりは成長したのか、英語のYouTubeが普通に情報源として使えるようになった。テック系のYouTubeはやっぱり英語のほうが圧倒的にコンテンツが豊富なので、仕事の面でもメリットを感じる。

リモートワーク

この移住が実現したのは、なんと言ってもリモートワーク。ほんとうにリモートワーク。リモートワーク様様。

基本的に日本の仕事をリモートでやっていた。 5時間の時差なので、特に問題なかった。

あと、ドバイ現地の開発案件も、ブロックチェーン関連とか不動産関連とか、縁があり携わった。

そのうち一部の案件は、いま逆に日本→ドバイでリモートワークしている。
こうやって今もドバイと繋がれるのはありがたい。

ジム

移住前から気になってたジムに通った。
普通のウェイトトレーニング以外に、グループレッスンも豊富で、格闘技系クラスもある。

格闘技が一般人のエクササイズの一種として広まっており、ヨガくらいのノリで盛んな印象を受けた。

柔術やキックボクシングのクラスにちょこちょこ参加した。なかなか現地の人と触れ合う機会は少ないのでいい機会だった。

私生活が忙しくあまり通えなかったけど、日本でまたやり直そう。

柔術
ufc

なぜ帰国したか

もともと、馴染めば3年くらい、そうでなければ1年で帰るかも、ってノリで行ったので、馴染んで3年、と予定通りといえば予定通り。

まぁ、実際ちょうどいいくらいだったと思う。

一方でずっとドバイ?というと、そうならなかった理由としては、、

まず教育のコスパ。

英語力をつけることはもちろん、カリキュラム的には体験系を重視していて、それはそれで良い学びがあると思う。
しかし日本の公立学校と比較するとコストは比にならない。質で言うと日本の公立教育も別に悪くないので。

ドバイのインターを継続する場合、高校でバカロレアなどの資格を取って、海外大学へ進学するのが一般的。それはそれでいいと思う。
けど学費も学年ごとに上がっていくので、ずっと継続して通うイメージはなかった。

では、いつ戻るのか? っていうと、英語もだいぶできるようになってきたので、そろそろかなとなった。

続いては食生活。

さっきも書いたが、どうしても欧米寄りの食生活になる。外食含め食育という点では悩ましさがあった。

今後

他の国への移住は? と聞かれることがあるけど、それは考えてない。

今回やってみて、手続きとか生活への順応がそれなりに大変だったので、また一からやるのか、、と億劫になる。

一方でドバイは3年暮らしてみて、とても良い環境だったので、また行きたいと思っている。
子供の教育のこともあるし、基本的には日本がベースになるけど、冬場や花粉の季節にドバイ、みたいな二拠点生活はベストかも。

3年ドバイからリモートワークして仕事的には全く問題なかったので、日本に帰っても東京に住む必要はないかと思った。
結局、妻の実家にも近い新潟での生活を始めた。灼熱ドバイから雪国新潟で天候が不安。

まとめ

ドバイで知り合った日本人で我々より先に帰った人と連絡を取ることがあった。

みんな口を揃えて「ドバイの生活は夢のようだった」と言っていた。

自分たちも帰ったらそう感じるのかな?とか思っていたが、全くその通りだった。

写真を見返すと、本当に濃厚で充実した3年間だったと感じる。

なにはともあれ家族全員で無事に帰ってこれてよかった。しばらくは日本の美味しい食事と安心感ある生活を満喫したい。